庄内地域を代表する作家、藤沢周平。
「海坂藩(うなさかはん)もの」は庄内藩をモデルにしているとされていますね。
作中にはさまざまな食材が登場しますが、素朴ながら郷愁を感じさせる食事の数々から季節の移ろいを感じることができます。
そんな藤沢作品に登場する「食」を味わえるお膳があると聞き、鶴岡の三瀬にある坂本屋を訪ねました。
坂本屋とは
坂本屋は享保年間創業の老舗旅館。「坂本屋才吉」の名で、短編小説「三年目」の作中にも登場します。
ここで腕を振るうのは庄内浜食文化伝道師でもある石塚さん。
庄内の食の生き字引的存在です。
今回お邪魔したのは松の間。現在の坂本屋の建物は、元々は大正時代に建てられたもの。昭和17年の三瀬の大火のあとに湯田川から移築されてきました。
松の間の戸を開けると、お膳の雰囲気を引き立てる雰囲気にワクワクします。
この掛け軸は酒井家17代目当主 酒井忠明様の直筆。
まず初めに運ばれてきたのが卵焼き。地元の卵をふんだんに使った、坂本屋の名物です。
白身の多いLLサイズの卵を使うことでメレンゲのような働きをし、柔らかな食感を生み出しているんだそう。「将太の寿司」の作者の漫画家 寺沢大介さんが坂本屋を訪れた際、作中の食事を再現するという宿題を出された石塚さんはふわふわの卵焼きを再現し、太鼓判をおされたというエピソードも!
半熟で火を通し、鬼す(すだれ)でまいて空気を抜きます。余熱で焼くことで、蒸卵に近い、滑らかでしっとりとした食感に仕上がります。少し甘くてホッとする味に、ファンが多くいることも頷けます。
しばらくすると海坂膳(うなさかぜん)が運ばれてきました。次から次へと出てくる品数には驚きです!
海坂膳のこの日のお品書きは以下の通り。
【お品書き】
・海老とうるいのお浸し(糸がき・紅たで)
・カラゲ煮(針生姜)
・ゴマ豆腐・サクラマスのあんかけ(ニラ・おろし生姜)
・うどとこごみのクルミ味噌和え(木の芽)
・桜鱒の染めおろし(ニラ・はじかみ生姜)
・本日の刺身 ひらめ(つま一式)
・民田なすの辛子漬け・大根の庄内柿漬け
・桜鱒の吸い物
・焼きおにぎり
・季節の果物(オレンジ、いちご)
庄内の春の味覚、サクラマスの豪快な焼き物「桜鱒の染めおろし」が目をひきます。
焼く際に中が蒸し焼き状態になりふっくらすることから、魚は大きい方が美味しいんだそう。ほっくほくのサクラマスを頬張ると、上品な旨味と大根おろしの爽やかさが口いっぱいに広がってなんとも幸せな気持ちに…!
庄内では「ニラ鱒」と呼ばれ、サクラマスの付け合わせには茹でたニラが多く使われます。
「三屋清左衛門残日録」の「山菜のこごみの胡麻味噌和え」はここでは「クルミ味噌あえ」として登場。香りが強い胡麻に比べ、クルミはより山菜の味を活かせるそう。
「凶刃」に登場する「からげ(エイひれ)」は歯ごたえがあり、噛めば噛むほど甘辛い味わいが広がります。
しかし、「海坂膳の料理は藤沢周平の本から拾っていますが、今では出せないものもあります」と石塚さん。昔を表現した文章から、そっくりそのまま現代に持ってくるのは難しいと言います。
「現代の食事は昔に比べて旨味が強すぎる傾向にあります。化学調味料などでどんどん旨味を足し、食材本来の味を消してしまっている。そのため、本来の味を昔の味付けで、そのまま楽しんでいただくのは難しい。
今はとれる素材自体の味も弱くなっていることも特徴ですが、かといって必ずしも天然だから良いというわけではありません。
例えば、促成栽培の山菜である『鳥海うるい』は 香りが強すぎず、サクサク感があってお浸しなどにぴったり。本来の天然物のうるいよりずっと食べやすくなっています。」
今おいしいものを、今の人が美味しいと感じるようにアレンジして持ってきている、懐かしくて新しい味が楽しめるお膳なのですね。
庄内浜について
「海には、その土地により得意不得意がある」と石塚さん。
庄内の海はどんな海なのでしょう?
「庄内浜の特徴は、多種少量。海流が混じり合うために、種類がたくさんとれるということです。量は少ないけれど、そのときどきの季節にともなった美味しいものを色々と味わえるというメリットがあります。」
そんな環境下で、庄内浜で暮らす人々は魚をたくさん捕るための工夫ではなく、今あるものを大切に活かす食文化を築いてきました。それぞれの魚を丁寧に扱って、素材を知って理に適った調理をし、大切に食べてきた。いわば「足るを知る」食文化です。
「どれかひとつの魚ではなく、土地も人も文化も含めた『庄内浜ブランド』として、総合的な魅力のある場所になれば良い」と石塚さんは言います。
美味しい素材の長所を伸ばし楽しむことは、致道館の教えである『天性重視個性伸長』に通じる、歴史と紐づいた食文化でもあります。
「天性重視個性伸長」とは、庄内藩校である致道館での教育方針。元々持っている天性を大切にし、長所を個性として伸ばしてゆくというものです。
「庄内で寒鱈汁が根付いているのは、産卵のタイミングなどが関係して、庄内に来る頃にはアラや白子などを全て使うのが美味しい状態になっているから、余すことなく使うスタイルになりました。せっかくの美味しさを充分に味わうため、坂本屋は身を使わずにみそのみで仕上げています。」
寒鱈汁といえば、「三屋清左衛門残日録」後半にあるシーンが印象深い庄内の冬を代表する汁物。「今度は鱈汁(たらじる)などを用意いたしましょう」と料理屋のおかみが声をかけると、「みぞれが降るような寒い日に来て、熱い鱈汁で一杯やるか」上機嫌で店を出る客。その描写から、どれほど美味しい冬の楽しみなのだろう…と想像を掻き立てられた方も多いのではないでしょうか。
坂本屋の寒鱈汁については、記事の最後でご紹介します。
食文化の継承とは
坂本屋は江戸時代から続く老舗であり、『海坂藩』として描かれた時代から庄内の食文化を現在へと繋いできました。ユネスコ食文化創造都市でもある鶴岡の食文化の継承について、どのようにお考えなのでしょうか。
「食文化を守るというのは、肩肘を張って意図的に教えてゆくものではなく、家庭の中で自然と繋がり、変化してゆくものではないでしょうか。食べ物は食べて仕舞えば残らない。でも時を経て思い出す。昔、家庭で食べたことを思い出しながら作り、伝わってゆけば良いのです。」と石塚さんは言います。
食材は環境の変化を受けやすいもの。
昔美味しいとされていたものも気候の変化で変わり、自ずと食文化も変わってゆきます。
「昔からのもの、新しいもの、どちらを否定しても、迎合しすぎてもいけません。食は変化をしていくべきものですが、文化として残っていくのはやはり歴史の上に積み上げたもの。時の流れに削ぎ落とされることなく、何年か先に残りうるものが本物です。今あるものを、時代にあった無理のない味わい方で楽しむことです。
また、これからは科学的根拠を踏まえていくことも大切です。
例えば、上方との交流が盛んであった酒田では寒鱈汁に昆布を加えるところもありますが、グルタミン酸を補うことは理にかなっています。おいしいものはなぜおいしいのかを研究し、それが庄内にあるよ、ということを伝えてゆけたらと思います。」
素直に食材の良さを認め、楽しんできたことがこれまでの食文化を繋いできたように、食と真摯に向き合い、今楽しめる食に感謝しながら美味しくいただくことがおのずと未来につながってゆくのかもしれません。
おまけ 坂本屋の寒鱈汁について
ここまで、春の海坂膳をご紹介しました。
庄内浜の魚を知り尽くした石塚さんによる、季節の美味しさを存分に堪能できる海坂膳。冬には、記事の中で紹介した「寒鱈汁」を味わうことができます。
豪快に入ったあらとプリプリの白子。岩のりとセリの香りが食欲をそそります。
味噌のシンプルな味付けは、鱈そのものの豊かで深い旨味を感じさせます。
身は焼き物でいただきます。
表面はこんがり。中は火が通っていながらも、みずみずしくぷりぷりとした食感に驚きます。
こちらは白子とあさつきのてんぷら。
下味がつけられた白子は、そのままでも美味しくいただけます。庄内では「きもと」とも呼ばれるあさつきの香りが白子のまったりとした旨みを引き立てます。
その時期に一番美味しいものを、美味しい方法で提供している坂本屋。
事前にお問合せの上、お尋ねくださいね。
<データ>
場所名:料理・宿 坂本屋
住所:〒999-7463 山形県鶴岡市三瀬己91 Map
電話番号:0235-73-2003
交通:庄内空港から車で23分、JR羽越本線「三瀬」より徒歩8分
営業時間:食事の場合 11時〜14時
宿泊の場合 チェックイン14時 / チェックアウト10時
定休日:なし
駐車場:あり
HP: https://sakamotoya.sanze.net
ライター紹介
サトウナナコ
庄内に移住したての頃、そこかしこで「藤沢周平はもう読んだ?」と聞かれました。そんな中初めて読んだ藤沢周平作品は「春秋山伏記」。馴染みある言葉遣いや地名が登場し、山伏が近しい存在に思え、わくわくしたことを思い出します。たくさんある映像作品も素敵ですが、しみじみと深い文章は格別です。
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